【令和元年度展示】航空隊の水上機滑走台

更新日:2025年01月31日

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【令和元年度展示】航空隊の水上機滑走台(展示は終了しています)

 「滑走台」とは、水上機を海面に降ろしたり、揚げたりする斜路です。「スベリ」と呼ぶこともあります。美浜町には、3つの滑走台が残っています。

 最新の研究成果と第3滑走台の72分の1のジオラマにより、町の歴史を紹介しました。参加者アンケートからは、「以前から河和に水上機の基地があったことは知っていたが詳しく知ることができた」、「子どものころに滑走台で遊んだ経験があるが戦争の遺構だとは知らなかった」という声がありました。

第2河和海軍航空隊の滑走台について

第1滑走台

堤防から海面の方へ下るように傾斜をつけて伸びている滑走台を横から撮った写真

 幅50.6メートル×長さ46.0メートル(長さは参考値:調査時の堤防から海面までの距離)ある(防衛研究所資料では、幅50メートル、長さ92メートル、勾配14分の1)。勾配14分の1は水平距離で14メートル進むと1メートル高くなるという意味である。他の滑走台は東向きであるが、第1滑走台のみは北向きである。風向により、使い分けられていた。滑走台の面を構成しているコンクリート板がめくれて陥没している部分や滑走台東側面の石積に破損はあるが、全体の保存状態は良好である。現在は堤防で陸地と区切られているが、戦時中は滑走台からエプロン(駐機場)が格納庫まで広がっていた。

第2滑走台(写真奥)

人が歩いている砂浜の一角に、傾斜をつけて海面の方へ伸びている滑走台が残っている写真

 幅247.7メートル×長さ40メートル(長さは参考値:調査時の堤防から海面までの距離)ある(防衛研究所資料では、幅220メートル、長さ92メートル、勾配14分の1)。東向き。当初はこの場所に別々の滑走台(それぞれの幅48.6メートル)が造られていた。その後、これら滑走台間も工事がされて、一つの大きな滑走台になった。第2滑走台は破損がひどく、特に北部分の破損は著しい。北側面の石積は波打ち際が広範囲に崩れて海没している。第2河和海軍航空隊は、水上機の搭乗員(操縦と偵察)を養成する練習航空隊だったため、広大な滑走台が必要だった。

第3滑走台(写真手前)

 幅80.6メートル×長さ44.4メートル(長さは参考値:調査時の堤防から海面までの距離)ある(防衛研究所資料では、幅90メートル、長さ92メートル、勾配14分の1)。東向き。主に練習機の揚げ降ろしに使われていた。3つの滑走台の中で保存が一番良好で、側面の石積・滑走台の面には大きな破損はない。

参考・引用文献

山下 泉・伊藤厚史・磯部利彦 2007年「河和海軍航空隊調査報告書」 美浜町教育委員会

展示期間・場所

展示期間・場所の詳細
期間 令和元年8月3日(土曜日)~28日(水曜日)(注意)月曜日休館
場所 生涯学習センター 1階 展示ギャラリー

展示の様子

72分の1の第3滑走台のジオラマ(製作:美浜町文化財保護委員と生涯学習課職員)

オレンジ色の複葉機は、93式水上中間練習機。日本海軍の水上機の搭乗員は、この機体で一人前の搭乗員になりました。

パーテーションやテーブルクロスが張られた台の上にずらりと資料が展示されている写真
テーブルクロスが張られた台の上に、航空隊の水上機滑走台のジオラマが展示されている写真
滑走台や海面の上に水上機が複数点在しているジオラマを近くから撮った写真

第2河和海軍航空隊に在隊していた方々からの寄贈資料(左)、第2河和海軍航空隊の施設配置パネル(右)

ショーケースの中に隊員の方たちの白黒写真や、帽子、手袋などが並べて展示されている写真
施設ごとに色分けされた第2河和海軍航空隊の施設図のパネルを撮った写真

河和海軍航空隊の跡地めぐり(第2河和海軍航空隊の滑走台)

参加者のかた達が、滑走台の側面部分を見学している様子の写真

 展示期間中の8月11日(日曜日)に、第2河和海軍航空隊の遺構と跡地(古布海岸)を、山下泉さん(美浜町文化財保護委員)の説明を聞きながら見学するツアーを行いました。第1・2・3滑走台、海軍が造った港などを見学しました。

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