美浜町の沿革 1

2011年2月1日

明治以前

現在、美浜町に存在する史跡などをもとに、明治以前の歴史を振り返ってみます。

大御堂寺と源義朝の墓

野間内海庄について、庄園領主、庄園としての成立時点、庄域、寄進者など推測を重ねてきたのであるが、それらはいずれも当時の庄園としてきわめて一般的なあり方を示すものであった。

この、残存史料も少なく、これといって目立った特徴ももたない一地方庄園が歴史の中に顕著な名をのこすのは、何といっても、その庄司たる長田忠致が、主人である源義朝(鎌倉幕府の初代征夷大将軍源頼朝の父)を討ったという事実によるものである。

美浜町の野間大坊の境内に、義朝の墓が存在する。

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水野氏の成立と水野屋敷

江戸時代、河和水野氏は代々尾張藩に仕える武士の家系で、河和の地を治めていました。

屋敷を名古屋城下と河和に持ち、河和にあった屋敷の一部を水野屋敷記念館として復元しました。

河和の屋敷は詳しい記録が残っていないので、他にどのような建物があったのかよくわかりません。しかし、一昔前まで河和の屋敷の周りに松やまきの大木がそびえ、往時の屋敷の面影を残していました。

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にっぽん音吉漂流の記

江戸末期、現在の美浜町小野浦に生まれた音吉は、1832年宝順丸という千石船に乗り江戸へ向かう途中嵐に遭い、太平洋を1年2か月も漂流した後アメリカ西海岸へ漂着。

その後イギリス経由でマカオに送られ、そこでドイツ人宣教師ギュツラフの聖書の和訳に協力、翌年モリソン号に乗り日本へ。しかし浦賀、鹿児島で砲撃を受け帰国を断念。

中国にて、多くの日本人漂流民の援助を行い、送還の手助けをする。また、イギリス海軍の通訳として日英交渉に力をつくした。美浜町が生んだ日本最初の国際人。

美浜町の小野浦に「岩吉・久吉・乙吉頌徳(しょうとく)記念碑」(いわゆる三吉記念碑)がある。

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トピックス

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