公開日 2018年10月03日
【平成30年度展示】第1河和海軍航空隊のコンクリート地下壕(展示は終了しています)
現在でも河和南部小学校の近くに、海軍航空隊のコンクリート製の地下壕(防空指揮所)が埋まっています。
平成18年に美浜町教育委員会が調査をして、初めてその実態がわかりました。
20m×10mの範囲に通路と部屋が3つあり、県内の海軍航空隊の地下壕では最大規模です。
最新の研究成果と防空指揮所の1/25のジオラマにより、町の歴史を紹介しました。
第1河和海軍航空隊の防空指揮所について
美浜町教育委員会は、国土交通省大阪航空局から許可を得て、平成18年2月に、河和南部小学校の隣にあった名古屋無線標識所内の地下壕を調査しました。
この地下壕は、第1河和海軍航空隊の防空指揮所だったことがわかっていました。
第1河和海軍航空隊の防空指揮所の構造は、この調査で初めてわかり、調査結果は「河和海軍航空隊調査報告書」に掲載されています(このページの防空指揮所内部実測図は、報告書から引用して編集しているため、1/200ではありません)。
調査時は内部に入ることができましたが、現時点(平成30年)では、出入口すべて埋められているため、内部に入ることはできません。
名古屋無線標識所跡地のほとんどは太陽光発電所になっていますが、防空指揮所周辺のみは遺構保存のため、平成29年から美浜町の町有地になっています。
防空指揮所は、半地下式になっており、地下に降りる入口が3か所確認できました。
そのうち、出入りが可能なものは、出入口1のみでした。
出入口1のまわりのコンクリートには割れた跡があるため、本来の出入口の構造はわかりません。
外観は、凹凸の激しいマウンドになっており全体は土で覆われていますが、一部コンクリートが露出しています。
露出部分には、通気口2か所とポールが立っていた痕跡が1か所あります。
マウンドの南側には、コンクリート製の階段状の設備がついています。
練兵場側に向かって階段状の設備が取り付けられているため、台にのぼるための階段だったのかもしれません。
防空指揮所の内部は、カマボコ形の部屋が3部屋(部屋1・3:1.7m×7.8m、部屋2:5.1m×7.8m)あり、それぞれが通路で連結されています。
部屋2の奥には、何かの土台にしたと思われる台があります。
出入口や部屋と部屋をつなぐ通路にはそれぞれ蝶番の跡がついているため、扉で仕切られていたと考えられます。
施設内の配線に利用されたと思われる穴や、溝・配線を固定するために使われていたと思われる木片も残っています。
電気コードが残っている所もあります。
内部の構造が左右対称のため、入口は4か所あったものと思われます。
各出入口付近の通路は土砂が厚く堆積しており、場所によっては土砂の堆積が1.0mあります。
土砂の流入や出入口に破損は見られるものの、戦後は無線標識所内にあったため、良好な状態で保存されています。
愛知県内で海軍航空隊の指揮所の地下壕が残っているのは、第1河和海軍航空隊の防空指揮所のみです。
県外では、筑波海軍航空隊(茨城県)の戦闘指揮所などが保存されています。
展示の参考・引用文献
山下泉・伊藤厚史・磯部利彦 2007年「河和海軍航空隊調査報告書」 美浜町教育委員会
展示を実施した日時・場所
平成30年8月3日(金曜日)~29日(水曜日) ※月曜日休館
生涯学習センター 1階 展示ギャラリー
展示の様子
1/25の防空指揮所のジオラマ
防空指揮所内部の写真パネル(平成18年調査)
河和海軍航空隊の跡地めぐり
展示期間中の8月11日(土曜日)に、第1河和海軍航空隊の遺構と跡地(河和南部小学校周辺)を、山下泉さん(美浜町文化財保護委員)の説明を聞きながら見学するツアーを行いました。
主な見学場所は、コンクリート地下壕、兵舎の基礎、兵員浴場の壁、正門跡、車庫の跡、本部庁舎跡、病院跡などです。
参加者アンケートからは、当時の様子がイメージできるようになった、遺構を後世に残して欲しいという声がありました。