公開日 2011年07月01日
この地区コースは、美浜町制45周年記念事業の一環として平成13年3月に作成されたもので、現況とは一部異なる場合があります。
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見どころ
1.奥田城跡(おくだじょうあと)
奥田字谷(1日字城山)地内にある海抜37.9メートルの山にある。現在は松林または、耕地になっていて、城跡として何も残っていないが、壕・石畳みの跡を思わせるものがある。この城は、尾張誌には水野日向守の居城と伝えている。水野和泉守忠重(信元の末弟)が緒川城に住み、その子の六左工門勝成が当城を築いて住んだ。六左工門はのちに日向守に任ぜられた。
2.ハウスみかん「みはまっこ」
昭和52年よりハウスみかん栽培は始まり、産地として位置づけられている。品質、内容に優れた美浜のハウスみかんは、美浜みかんブランド「みはまっこ」として全国的に有名である。
3.恋の水神社の由来(こいのみずじんじゃのゆらい)
神代の昔、大日貴命の神々が国造りをされるとき、少彦名命が急に病に倒れ苦しみだされた。大巳貴命は御心を痛められ、天津の神にお祈りをされた。すると、天から女神が龍に乗って降りてこられて「吾は美都波能女の神なり」と言われ少彦名命の御身体を三度なで、その地の清水を与えられると病がたちまちに全快してしまった。以来、美都波女の神を祭神としてお祀りしたのがこの神社である。また、この神社の清水を飲むと重い病気もたちまち治ると言われている。
4.桜姫の伝説(さくらひめのでんせつ)
桜姫は父の家臣の青町という侍を恋し、人目を忍んでは愛し合っていたが、許されぬ恋故に勘当され、二人は山城の国・愛宕群北山の里に隠れ住んだ。ところがまもなく、病にかかり、たいそう苦しんだが、知多半島に「恋の水」と言う霊験あらたかな神髄があることを知り、桜姫は旅に出る決心をした。そして、苦労してようやく恋の水」の近くまでやってきて、里人にその所在を聞いたところ、恋の水に行くにはまだまだ。今までやってこられたくらいの道のりがありますよ。」と答えたという。それを聞いた桜姫は、一度に力が抜けてしまい、そのままその場に倒れ息絶えてしまった。そこに「桜姫塚」と刻まれた小さな墓があったとされる。
5.観音寺(かんのんじ)
南奥田にあり、曹洞宗で報恩寺の末寺である。この寺は、報恩寺住職の隠居所として建造された物であるが、記録はない。永正十二年(1515年)二月に雲閑珠崇和尚によって創立された。本尊に観世音菩薩がまつられている。現在は、「らんの寺」としても知られ、観音寺の本堂のすぐ南の敷地内に野生蘭が十数種、四干株宗り植えられている。三月に春蘭展、五月にエビネ展、十一月に寒蘭展が催されている。中でも五月のエビネ展がよく賑わっている。