美浜町の偉人について

公開日 2019年08月08日

山本音吉とは ~知多の海から世界の海へ~

山本音吉(やまもと おときち)は、1817年頃、尾張国知多郡小野浦村(現美浜町)に生まれる。当時、小野浦は千石船による廻船業で栄えており、千石船「宝順丸」の船乗りとして従事する。1832年(天保3年)11月、音吉ら14人を乗せた宝順丸は尾張の米や陶器を江戸へ運ぶため、小野浦を出て鳥羽から江戸へ向かう途中、遠州灘で嵐に遭い遭難。1年2か月の漂流の末、アメリカ太平洋岸のケープ・アラバに漂着し、その時に生き残ったのは音吉、久吉、岩吉の3人のみであった。3人はアメリカ・インディアン「マカ族」によって助けられ暮らしていたところ、英国ハドソン湾会社のマクラフリン博士に引き取られ、ロンドンの土を初めて踏む日本人となる。

1835年(天保6年)、音吉たちはマカオに送られ、ドイツ人宣教師カール・ギュツラフの下で、聖書を日本語に翻訳し、世界で初めての和訳聖書がシンガポールにて出版される。1837年(天保8年)、アメリカの商船モリソン号で日本へ送られるが、江戸湾浦賀港にて幕府の鎖国政策により砲撃をうけ上陸できず、祖国を捨てマカオへ戻る。その後、イギリスにて日本人漂流民の援助や日英和親条約のイギリス側通訳などを行い、イギリスに帰化を許された初めての日本人となる。

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音吉の人生(略歴)

1817年頃 尾張国知多郡小野浦村(現美浜町)山本家3男として生まれる
1832年 宝順丸の遭難
音吉ら14人が乗った宝順丸は、米や陶器を積んで伊勢湾鳥羽から江戸に向け出港するが、遠州灘沖で嵐のため遭難し、1年2か月にわたる漂流の後、音吉、久吉、岩吉の3人のみ生き残る。
1834年 日本人で初めてアメリカの土を踏む現在のアメリカ合衆国ワシントン州ケープ・アラバの海岸へ漂着、先住民マカ族に救助される。その後、イギリス毛皮交易会社ハドソン湾会社に引き取られ、フォート・バンクーバーで初めて英語教育を受け、ラナルド・マクドナルド(日本初の米国人英語教師)来日のきっかけとなる。
1835年 世界初の和訳聖書作成
ハドソン湾会社本社によってロンドンからマカオへ送られ、ドイツ人宣教師カール・ギュツラフに預けられ、世界初の聖書和訳に協力、シンガポールにて出版される。
1837年 5年ぶりに日本へ
アメリカ船モリソン号で日本へ送られるが、江戸湾浦賀港にて幕府の「無二念打払い令」による砲撃のため、断腸の思いで退去。鹿児島湾にも入港したが、またしても砲撃に遭い、この日を境に祖国を捨て、マカオへ戻った後、イギリス船で水夫として働く。
1844年頃 上海で日本人漂流民を援助
イギリス商社デント商会の要職に就いて上海に居住し、摂津の永住丸、紀伊の天寿丸、摂津の英力丸、半田の永栄丸などの漂流民を帰国させる。
1849年 通訳として活躍
中国人林阿多(リン・アトウ)と名乗り、イギリス海軍東インド艦隊の軍艦マリナー号の通訳として浦賀へ来航、大英帝国の一員として海図の製作に係る。
1853年 米国ペリーの栄力丸漂流民引き渡し要求を拒絶する
1854年 日英和親条約の締結
イギリス海軍スターリング艦隊の通訳として来日し、日英和親条約の締結をする。「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に音吉の談話(日本の国家、宗教について)が掲載される。
1862年 シンガポールに定住し、海外で日本人初の会社を設立する
家族と共に上海からシンガポールへ移住し、幕府の遣欧使節団で寄港した福沢諭吉や森山栄之助(ペリー来航時の幕府主席通訳)に会い、中国や世界の情勢について伝える。
1864年 イギリスへ帰化した日本人第一号
ジョン・M・オトソンとしてイギリスへの帰化を許される。
1867年 シンガポールで死去
シグラップ地区アーサーズ・シートにおいて波乱の生涯を閉じ、旧ブキティマ通り墓地に埋葬される。(当時の現地紙シンガポール・デイリー・タイムズ死亡記事には50歳と記載されている。)

 

「にっぽん音吉」生誕200年メモリアル事業

2017年(平成29年)は「音吉」が生誕して200年を迎える年で、そのメモリアル事業として、音吉たちの数奇な人生を描いた音楽劇「音吉物語」が美浜町総合公園体育館サブアリーナで開催されました。

第1部では、日本福祉大学付属高等学校和太鼓部「楽鼓」による和太鼓演奏として、平成29年8月に開催された第41回全国高等学校総合文化祭にて最優秀賞・文部科学大臣賞を受賞した音吉の生涯を題材にした曲「海嶺」が披露されました。

第2部では、音吉らを乗せた千石船の遭難から1年2か月に渡る漂流の後、世界初の聖書和訳への協力や日本人漂流民の帰国援助を行うなど、シンガポールで生涯を閉じるまでの半生を描いた演劇に、観劇者の感動を呼んでいました。演劇には、日本福祉大学付属高等学校演劇部や町民の方々もエキストラ出演し、熱のこもった演技で舞台を盛り上げました。

音吉物語1.JPG 音吉物語2.JPG

楽鼓1.JPG 楽鼓2.JPG

 

参考

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